古事記を電子化してみようとする

devanAgarI文字が自由に使えるのだと期待して私は超漢字を買ったのですが、全く実用でないことが分かりました。そこで、それはあきらめて古事記の電子化を試みたのですが、それもまだ完全にはできません。岡島昭浩さんがまとめていらっしゃる日本文学等のテキストファイル古事記本文があるので、それを元に字形の修正などを行っています。ところが、超漢字でも使えない漢字が使われていました。しかもそれほど複雑でない漢字も使えません。青い字がその漢字です。古事記上巻の冒頭からして既に大量の使えない文字があります。定本には岩波文庫30-001-1, 校注者: 倉野憲司の古事記を用いました。

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この他にも、GT書体や大漢和辞典の書体は通常の文字に比べて線が細く、このように混在させると見栄えがよくありません。しかも、GT書体を作っている方々は「我々は字体の美しさについては全く考えていません。」ときっぱり言い切っているそうです。美しさの基準は人それぞれとしても、見栄えが異なるのは問題でしょう。

また、devanAgarIや梵字悉曇などを扱いたいとは思っていますが、インド系の文字は単に考えられる文字の組み合わせを登録すればそれでいいという問題ではないのでTRON文字収録センターに単に申請すればそれで終わりというわけではないのですが、それよりTRON文字収録センターが普段何をしているかの方が問題です。まさか申請書が来たらそれを処理するだけではないはずで、各国各地の文字文化について調べ、時にはその場所に出掛け、もし計算機上で扱われていればその方法を学び、検討しているはずですよね。よね。よね。Free Software Foundation Indiaのソフトウェアのページにインド系の文字の書体がありますが、これは使えるのでしょうか。使えるというのは、きちんと合字ができるというところまで含みます。

割註が開いた仮身でできるのは便利だと思います。例えば、仮身を取り除けば本文だけが残るというように。しかし、本文の字の大きさを変えたらそれに応じて割註の字の大きさも変化して欲しいのですが、それは出来ません。また割註が自由にならないのと同様、頭註脚註もできません。しかし、これは構造の問題です。註というのは本文に対して少し口添えをするものなので、BTRONとしては註の代わりに仮身を置くのが正しいのかもしれません。紙と電子媒体とを同列に扱うのはよくありませんし、電子媒体だからこそ有益になるような変換をすべきでしょう。考え中ですが、それでなくても上にあるように使えない文字が多すぎてやる気をなくしました。一応途中経過を置いておきます。

関連する文書

『真福寺古事記』影印にて原本などを見られます。


Tamakoshi Hiroki
Last modified: Sat Dec 7 06:57:53 JST 2002